ゴジラ-1.0 感想書き散らかし

実を言うと、山崎監督と言うとユアストーリーの件を聞いていたので、まったく期待していませんでした。むしろ、なんでそんなヒトに撮らせるんだよ、もしかしてシン・ゴジラの後は作りづらいから彼を起用することで一旦期待値を下げて、以降撮りやすくするつもりなんだろうか、などと全方位に向かって失礼なことまで考えていました。
が、試写会の評判は良さげ、先に公開初日の早い回で見たヒト達の評判も悪くないと聞いては居ても立っても居られず、バレが流れる前にと、同じく初日の最終回を見てきました。
感想は…一言で言って「山崎監督、申し訳ありませんでした!」と土下座したくなるほどのものでしたw

(以下バレだらけ感想。見てないヒト、これから見るヒトは回れ右)

参りました

元々、ゴジラ反戦映画とは言われるものの、初代作は終戦後わずか9年後に作られたこともあり、その辺りは観客共々共通の体験としてある為か、戦争の影響の描写は薄めで、むしろ人間ドラマは芹沢・恵美子・萩原の三角関係が主軸に見えます*1

ですが今回の話は敷島、典子、澄子が終戦直後の食うや食わずの世情を反映した、ささくれ立った人間関係から描かれます。
敷島は大戸島で頼まれた役目を果たせなかったことで多数の死者を出してしまったことを悔やみPTSD状態。
かつての敷島家の隣人であった澄子は、敷島の声のかけ方から察するにかつては気のいいおばさんであったことが推測されますが、彼女は空襲で3人の子供を失っており、特攻隊員として送り出されていながら生きて帰ってきた敷島をなじります。
典子は、空襲で亡くなった赤の他人の夫婦から託された赤子と共に生きるのに必死ですが、それに対して敷島はパンパン(米兵相手の娼婦)でもやればいい、と返します。しかし彼女は赤子(明子)を置いていかなかった彼の人の良さを気に入ったのか彼の家に居つき、奇妙な男女と赤子一人の生活が始まります。澄子もまた、そんな危なっかしい若い二人の子育てに不安を抱いたのか、かいがいしく面倒を見るようになります。
この後、敷島は掃海任務の仕事*2に就き収入を得て生活を向上させますが依然としてPTSDは治らないまま。とは言え平和と生活の向上は3人の関係を改善していきます。
戦争という死が無作為に投げつけられる時代が終わり、廃墟になった東京で、生き残った者達で生きて行こうという姿が克明に描かれていました。

ここまで見て、私は先に書いたように既存のゴジラ映画に足りなかったのはこれだと思い至りました。いつの間にか私は彼らのドラマに夢中になり、途中で犬かきゴジラに襲われる話があったにも関わらず、銀座のゴジラ襲撃時にゴジラのテーマがかかるまで、これがゴジラ映画であることを忘れていましたw


問答無用の暴力、怪「獣」ゴジラ

豆知識)
今回のゴジラは「水爆怪獣」ではありません。彼が変質したのは1946年7月のクロスロード作戦によるものなので「原爆怪獣」になります。

それはともかく今回のゴジラは船を見かければ立ちどころに襲い掛かってくるほどに人間に敵意を剥きだしにしてきます。オマケに、機銃や重巡の大砲、機雷でも「死なない」。正確には傷はつくものの、驚異の再生能力で立ちどころに回復してしまう。
更には青白い熱線を吐き、重巡ですら一撃で破壊してしまいます。
既存のゴジラ達を知っていればちょっと首を傾げる部分がありますが、この作品のリアリティラインではありえない理不尽でデタラメな生物です。
そのゴジラが遂に銀座に上陸しますが*3、ここでも人間やその所産に対する敵意がこれでもかというほど発露されます。崩された建物の下敷きになり、あるいはゴジラに直接踏みつぶされて殺されていく人々。その混乱の中で典子はゴジラに咥えられた電車の中で宙づりになったり川に落っこちたりします。生命力強すぎじゃね?と思いたくもなりますが、トドメのように危ないところで敷島との合流を果たします。まあこの辺りはアレです、「考えるな感じるんだ」

 

「お約束は守らないとなー」

 

当時最新鋭?である4式中戦車による攻撃を加えるも、ゴジラは遂に原爆の起動のようなモーションで熱線を吐き、一帯は破壊の渦に包まれます。人々が何が起きているのかわからずに呆けているところ、すんでのところで典子は敷島を建物の隙間に突き飛ばしますが、哀れ彼女は爆風の中に姿を消します。

 

ゴジラを知らないヒトがアレ見たら、そりゃー棒立ちになるよね

 

あの爆風では五体は切り刻まれ、見つけることはできないだろうと判断したのか、彼女の葬式を挙げる敷島ですが、ここで彼はゴジラの位置づけを恐怖の対象から倒すべき仇敵に変更します。それも、強烈な憎しみと共に。
ゴジラを倒すべき仇敵として憎む主人公! 今までそんなキャラクターがいたでしょうか。勿論、任務として倒さねば、とゴジラに立ち向かって行ったキャラクターは沢山いたわけですが、彼は背景が強烈です。
かつて怯え竦みあがってしまったが為に大戸島の整備員達を見殺しにしてしまったという負い目、その仇。
そしてこの瞬間からは、あるいは妻にと考えていた女性を奪った仇として憎み始めたわけです。
怪獣映画に人間ドラマは要らない? ええ、そう思っていた時期が私にもありました。この瞬間までは。要らないのはデキの悪いドラマであって、人間ドラマそのものではなかったんです。


ミリ者趣味というなかれ

物語は、元海軍技師である野田の提案した「海神(わだつみ)作戦」が提案されますが、囮が必要だと考えた敷島は、戦闘機の調達を依頼します。そこで登場するのが局地戦闘機震電です。

撮影用の作られた1/1モデルは、福岡県筑前町立大刀洗平和記念館にあるそうです

 

物語中の歴史ではどうやら数機が完成していたようで戦線に投入された様ですが、史実では完成が間に合わず試作で終わった機体。かつてこの国を守る為に作られたものの間に合わなかった機体がゴジラから日本を守る為に投入される…ロマンですよね…すみません、ここでも私は泣きましたw

まあその後、なんやかんやあってゴジラは倒されたし、典子さんは生きていたしめでたしめでたし…なわけですが、はて、本当にそうなんでしょうか。

ゴジラ驚異の再生能力はラストに復活を予見させましたが、それだけではなく…あの爆風…人間は切り刻まれて助かるハズがない…銀座には4式の攻撃や爆風で削がれたゴジラの細胞が大量に残されていた…爆風で皆中心に集められて…いや、あるいは、電車ごと咥えられていた時、既に?…典子さんの首の模様、あれは…


というラストも含めて、最高のゴジラ映画でした!まる!

 

なお、近所の模型店からは震電、高雄、雪風、響のキットが綺麗に消えていたことをご報告致します。再販よろしくお願いしますね>模型メーカーさん各位

 

 

 

 

 

 

*1:長いこと見てないから今は違って見えるかも知れない。この辺りは後で確認する。どのみち、私はこの認識でいました

*2:ああやってやるんですね、知りませんでした

*3:ここツッコミどころですよね。もうちょっと前に発見できるだろうし、もっと早く警報出すこともできただろと